「太陽の子」の映画を見てきました!最近「この世界の片隅に」に感銘を受けた視点から。

ひまわりの花 アラサーの主張

太陽の子を見てきました。
誘われてみに行ったため、どんな話か全く分からず、「原子爆弾を開発しようとしていた日本の大学の話」程度のあらすじだけでみに行きました。

あらすじ

1944年(昭和19年)、京都大学では新型爆弾の開発実験を行っていました。

ウランを濃縮させた核爆弾を作る予定でしたが、原料のウランも濃縮させる方法も機材も全く足りていない状態でした。
京都大学物理学の若き研究者・石村修(柳楽優弥)は、実験に没頭していきます。
一方で家族では弟が兵隊にいき、京都の街中に住む、幼馴染の世津が建物疎開で同居します。

時代 1944年(昭和19年)〜終戦(1945年昭和20年夏)まで
場所 京都市内と京都大学
設定 京都大学生の修がAtoms bomb(原子爆弾)を研究する
背景 日本の劣勢が顕著となり、形勢を逆転させるために新型爆弾の開発が急務となったから

太陽の子の映画を見た感想(ネタばれ含みます)

この映画は見る立場によって考え方だったり、大きく違うと思いました。

三浦春馬くんの遺作に近いものと聞いていますが、「三浦春馬くんの遺作」という観点はナシにしています。

戦争のせいにしてしまった

わたしは、これが少し残念でした。
せっかく、実話を元にした話なのに、ただの反戦映画になってしまったと感じた。
戦争中の限られた資源、環境の中でも懸命に実験を重ねてきたって方が、(平易な表現しかできないが)良かったのではないかと思う。
現代のものが溢れ、環境が良い状態からみると、戦争のせいで実験が進まなかったと言えるが、当時の人たちはどの程度そう思っていたのだろうか。

戦争のせいとわかるほどの情報が当時の修にあったのだろうか?

インターネットがあるわけではないので、リアルタイムな海外の様子はわからず、戦時中ではない時に書かれた論文を参考に実験を重ねていた。
後から思えば、戦争のせいで研究は進まなかっただろうし、電力も材料も機材も十分にはそろっていなかったとわかるけど、当時そう思っていたのかなと感じた

例えば、いまテレビやインターネットで芸能人の暮らしやお金持ちの人たちの暮らしを知ってしまうから、「もっと上のもの!」と思うが、知らなかったらそうは思わないのでは?と感じる。

無い物ねだりをするような背景だったのだろうか?

第一次世界大戦後(数年前)ならば、電力の安定供給があったが、今はないというように過去の実体験との対比であったとしても、ない中で工夫をしたり、何か違うものを考えるのではないか。
作中では、実験で使うウランが足りないと表現されていた。その時でも、実験用ではなく陶器の染料を代用していた。
ないものはないと諦めつつもその中でどうにかしていたのではないかと思う。

この世界の片隅にですずさんが言っていたことがフラッシュバックした

「何でも使って暮し続けにゃならんのですけぇ」
実験と生活は違うことを、理系の端くれとしては重々理解しているけど、そんなに文句言っていたのかな

終戦直前にあんなこと言ってて捕まらなかったのかな

この世界の片隅に以外の作品でも多く描かれているし、実際にあったこととして「憲兵」がある。
戦争に反対な発言をしたり、軍事情報を漏らすようなことがあった場合には捕まる。
それは、終戦に近くなればなるほど、日本の敗戦が濃厚になればなるほど、厳しくなったという。
東條英機の言論統制は有名だ。あんな、公共の場で、あんな大声で大丈夫だったのかなと思った。
せっかく、実話を元にしているのだから、そこら辺の心理描写は「発言する」のではなく、観る人に考えてもらう作品でも良かったのではないかと感じた。

うーん。全部が中途半端。

原爆の研究開発を行っていた京都大学の研究所の実際の様子を参考にしているようですが、その割になんか今まで見ていた戦争映画よりもテンションが軽いというか、上述のように、そんなことほんとに発言してイイの!?みたいなことを平然と言っている。

終戦直前なのに大きな白米のおにぎり

おにぎりの写真京都大学へ行けるくらいだからなのか、修の家はお金持ちなのだろう。

終戦直前も直前に大きな白米のおにぎりをお弁当に持たせてもらっていました。最後の日ということもあるのでしょうが、それでも、お母さんはモンペではなくキレイな着物を着ていますし。

どういう設定なのでしょうか。NHKがもともとならばその辺の時代背景もしっかりしていると思いますが。

修の心情の変化も描写がイマイチ

私がドラマを観ていないからなのでしょうか。

最後、修は比叡山に上って京都に原子爆弾が落とされる様子が見たいと言います。

狂気の発言だとおもうのですが、そこに至るまでの描写が少ない気がしました。

戦地へ行くことが嫌な弟の描写や、幼馴染のセツ(有村架純)の心理描写は見ているこっちが大丈夫か!?というくらい大声で叫んで、しっかり描くのに、肝心の修の心理描写は声に出ていないと思いました。

有村架純の演技力では伝わらず、柳楽優弥では伝わるから、見ている人の考えてもらう…にしても、少ない気がしました。

研究所がテーマならば、実験の内容をもっと細かく書いてもいいかなとも思った。

ドラマは家族がメインで、映画は研究室がメインと聞いています。

その割に、研究の内容についてはあまり触れられていなかった

ひたすら遠心分離機をかけている様子は描かれていましたが、なにがダメなのか、そのあとなにがどうしたいのかといったことが一切説明されず、ただひたすら遠心分離機を回して、速度を上げえていました。

うまくいかなかったのは電気の供給が少なかったからかもしれませんが、ただ単に考え方や実験の方法が間違っていたのでは?と思いましたが、それを検討することもないままの話でした。

そして、正解を最後に教えてほしかった。

疑問に思ったこと(少しネタバレ含みます)

映画を見ていて疑問に思ったことがあります

結局原爆はどうやって濃縮ウランを作ったの?

ビキニ沖の原爆実験の写真

アメリカはどうやってウランを濃縮させたのでしょう。
✳︎私は一応理系ですが、この辺詳しくないです。
作中では、「硝酸ウラン」を使って実験を行なっていました。そして、ウラン235と238の分離は重さの違いを利用した遠心分離を使っていました。

そもそものウランが違う

作中で修は染料として使われていた「硝酸ウラン」を、陶器の工房からもらっていました。
硝酸ウランは陶器だけではなく、ガラスに混ぜて綺麗な黄色や緑を出したようです。

一方アメリカが使っていたのは「六フッ化ウラン」でした。
フッ素という物質をウランにくっつけたもの。これをすることにより、ウランを気化(ガス)することができる。
気化させることができることによって新しい分離方法が使えるようになる。

アメリカが使っていた分離法は、結論から言えば「電磁法」

アメリカはどうやら色々な種類の分離法を試し、電磁法が良いということをわかっていた。
結論的に言えば、この方法しかウラン235と238を分けることはできないっぽい(当時の技術)
いまは、原子炉からウランも手に入るし、なんかいい感じの技術があるっぽい。ガス拡散法ってのがいいらしい。
✳︎この辺、難しすぎてわからなかった!

当時は3種類検討に上がっていた

・ガス拡散法
・遠心分離法(太陽の子はこれ)
・ノズル分離法

全部一長一短あるらしい。
これは、ほんと、難しい…

トルーマンはやっちまったよね

結局、結論からしたら、原爆投下はアメリカの当時の大統領が「原爆作ったから使ってみたかった」って、意見で確定で、「新型爆弾を作ったから、落とされたくなかったら降参してね」の脅しにも使わずにいきなり実践だった。

まとめ

太陽の子は当時の頑張っていた人を知ること、日本も頑張っていたということを知ることはできたと思う。

NHKでドラマをやっていたものの視点を変え、映画化したものと聞いています。

ドラマのほうを見ていませんし、存在も知りませんでした。

 

この世界の片隅にの映画を見た感想文!

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