日航123便墜落事故をご存じでしょうか。
昭和60年(1985年)8月12日に群馬県の山中に520人以上が乗ったジャンボ機が墜落した事故です。
この事故について「陰謀論」がある という話です。
事故については今なお多くの「説」が言われており、この事故をテーマとして扱った小説や映画も多く公開されているのです。
風化させず、遺族の方がご存命なうちに事故の本当の原因が正確に究明されることを願います。
理系ですが、工学系ではないので、飛行機のシステム等は全くわかりません。
事故については「坂本九さんが亡くなった事故」「サンマさんが乗らなかった飛行機」くらいの認識です。
私が良く見ている動画配信をされている方のちょっとしたトークの中で「陰謀論」について触れられ、その後YouTube、本と情報を集めていきました。
私の感覚としては、陰謀があったかどうかはわかりませんが、事故調査委員会の発表は鵜呑みにしていいレベルのものではない。つまり、「嘘」が隠されていると感じました。
先日、ドラマ「エルピス」の冤罪事件をきっかけに、
友人に日航機事故の話をしたところ、うまく話せない、まとめられていないと感じたので、まとめてみることにしました。
基本的に、青山透子さんの著書を中心に、YouTubeやネットについて情報源です。
そして、本の内容のネタバレにはならないように注意はしています。
最後に全著書まとめがあります。
陰謀論としてしまえばそれまでですが、コロナワクチンに関しても、某国のミサイルにしても、本当に国民が国の中で起きていることを説明されているのか、疑問に思います。
不謹慎な言い方ですが、現在遺族の方が情報開示に向けた裁判等を行っていることもあり、リアルタイムで展開されていくミステリー、サスペンスとしての臨場感もあります。
ドラマ「エルピス」でも、世論を動かしたことによる事件の進展がありました。そのように、風化させないということが大切だと感じています。
事故の概要
日本航空(JAL)のジャンボ機123便が1985年(昭和60年)8月12日の夕方(19時頃)、群馬県多野郡上野村の山の中に墜落した。
御巣鷹の尾根と今では言われているが、その当時山に名前はついておらず、事故後に命名されている。
123便は羽田空港を18時に出発し、18時56分に伊丹空港へ到着する予定だった。
機長、副機長、航空機関士の3名がコックピットに乗っていた。
乗員・乗客は524名。
お盆の期間ということもあり、空席待ちをするくらい、満員の乗客だった。
陰謀論と言われる概要
陰謀論と言われるということは、「本当のことを知られては困る人がいる」ということです。
その困る人が誰なのかは現時点では判明しておりません。
そもそもの事故原因となったと言われているのが、こちらです。
自衛隊、アメリカ軍
現在、事故調査報告書では、ジャンボ機の後部圧力隔壁の損壊により、垂直尾翼が吹き飛んだ…という話となっています。(詳細は下で紹介)
圧力隔壁説は理論的に難しい部分があり、圧力隔壁によって垂直尾翼が吹き飛ぶ説には無理があるということは納得できます。
では、何が垂直尾翼を吹き飛ばしたのでしょうか。
ここで陰謀論発動です。
陰謀論内では、自衛隊又はアメリカ軍の高速機が衝突した、ミサイルが衝突した…と言われています。
陰謀論は複数ある(というか、嘘に嘘を重ねすぎた?)
垂直尾翼が吹き飛んだ。群馬県の山に衝突した。520名が亡くなった。
事実としてはこれだけで、それに至る経緯に陰謀が隠れていると言われています。
なぜ垂直尾翼は吹き飛んだのか?
なぜ羽田→大阪の飛行機は群馬県に向かったのか?
なぜ、520名も「亡くなった」のか?生存者は4名だったのか?
圧力隔壁説(事故調査委員会の結論)
まずは、公式見解の「圧力隔壁説」について紹介します。
こちらをある程度理解できないと、その後の「疑惑」について理解できなくなってきます。
ざっくり概要
飛行機が墜落した原因は垂直尾翼が吹き飛び、コントロールを失ったこと。
垂直尾翼が吹き飛んだ原因は、後部圧力隔壁の修理ミスによるもの。
修理ミスは、事故の7年前1978年(昭和53年)に伊丹空港で起こしたしりもち事故の修理と言われています。
垂直尾翼とは?
私の拙い絵で申し訳ありませんが、垂直尾翼は黄色のマーカーの部分の翼です。
垂直尾翼は機のバランスを取っているものだそうです。
飛行機のことは全くわかりませんが、凧でいうところの脚。
飛行機意外にも、スポーツカーとかヘリコプターにもついているそうです。
同じ機能かわかりませんが、魚の背びれ的な場所にあるやつです。
これが6割ほど吹き飛んだため、操縦ができなくなった(バランスが崩れた)と言われています。
後部圧力隔壁とは?
後部圧力隔壁とは、客室と外を隔てている壁です。
ざっくり説明すると気圧・気温が下がって乗っている人が大変なことになるので、そうならないように機内の圧力・温度を維持するための壁です。
<ちょっと詳しく説明>
飛行機は上空24,000フィート辺りを飛びます。
1フィートが30cm程度なので、24,000フィートは7,300m程となります。
気圧は1,000mで100hPa(ヘクトパスカル)低下するので7300mでは730hPa低下することとなります。(各条件で誤差はあります。)
高山病は3000m程から、台風などで頭痛が起きる人は50~100hPaの気圧変化でも頭痛を起こしますので、健康な人でも、730hPaの気圧変化には対応できません。
そのため、飛行機では1万m程度では0.8気圧程度の気圧に保たれています。
さらに、0.2気圧低下がでは不快感もあるため、当時の国内線はもう少し高い気圧で管理されていたと言われています。
修理ミスとは?
事故の7年前に伊丹空港でしりもち事故を起こしていたようです。状況としては絵に書いたように、後部がぶつかってしまい、後部圧力隔壁を修理したが、その時の修理に不備があり、事故へつながった。
というものだそうです。
反論
しりもち事故による、修理は行われているので、しりもち事故は実在しているのでしょう。
しかし、7年も前の事故が原因でいきなり吹き飛ぶものでしょうか。
また、7年間も点検なしで航行しているとも考えられません。
圧力隔壁は事故現場でバラバラにされている。
仮に本当に圧力隔壁に亀裂等の損傷があり、そこから垂直尾翼が吹き飛んだとしても、
その証拠である圧力隔壁は御巣鷹の尾根でカッターによってバラバラにされているため、亀裂が墜落後についたものか、事故の前に付いたものなのか判断できるのでしょうか。
また、青山さんの著書によると、事故後ものすごく早く、圧力隔壁説が出てきて、そのまま他の説を検証することなく確定したとのこと。
修理ミスは起こりえない
著書では解説されていませんでしたが、圧力隔壁の修理ミスというのは
圧力隔壁は上下に分けられることができ、上下をボルトでつなぐ修理を行っています。
その修理の際に間をつなぐ板が本来切る部分ではないところで切られていたため強度不足で破壊が起きてしまった。
というものらしい。
YouTubeで解説している方がいたが、どうやら、切れていたらボルトで締めることができない場所らしい。
そして、かなりめちゃくちゃ頑張って仮に締めることができたとしても、通常ではありえないほどの努力をして締めるので、意図的(故意、過失)でないとできないものらしい。
つまり、ミスではなく事件。
※これに関しては事後、ボーイング社から謝罪されているが、ここにも陰謀疑惑が…
機内急減圧
圧力隔壁破壊説の裏付けの一つとなったのが、機内で急減圧があったと言われるものです。
非番で乗っていたCAさん(生存者)の証言の「急な霧が発生し、酸素マスクが下りてきた」というもの出す。
内気圧(低く見積もっても0.8hPa)と外(推定0.3hPa)を隔てている圧力隔壁が垂直尾翼を吹き飛ばす勢い(つまり急激)で破壊されると、急激に内部の圧力が下がります。
圧力が急に減ると、空気中の水分が霧状になります。
また、酸素濃度が下がると酸素マスクが下りてくる仕組みになっているようです。
この減圧があったこと、酸素マスクが下りてきたことに関しては生存者の方のみならず、遺書や写真も残っているため、事実であったと考えられます。
反論
しかし、霧は一瞬で消えていること、酸素マスクが下りてからも30分程度航行していること、生存者の鼓膜が破裂していないことからもそこまでの大きな減圧が持続していたとは考えられない とのことです。
公開されない情報
この事故が陰謀論とされる理由としては情報の公開にもあります。
コックピットのボイスレコーダー
特にこのコックピット内での情報の公開がとても少ないと言われています。
コックピットの中にはボイスレコーダー、フライトレコーダーという2種類の機器が備え付けられているようです。
30分間録音されています。
フライトレコーダーではどういった操作をしたのか、高度や速度がどうなっていたのかといった情報が記録され、飛行経路が判明します。
このコックピット内の情報が一部公開されていますが、ノイズが多いこと、一部無音であることなど、切り取られていると言われています。
また、管制(地上の空港)との会話でかみ合わない点も多く、切り取り以外にもコピペなど改変されていると言われているところも陰謀論を助長させています。
情報出せばいいのに…
現在、ご遺族がこのボイスレコーダー等の公開を求めて裁判を行っているそうです。
どの操縦は生きていて、どの操縦ができないか…どういったこと(上昇、降下、旋回等)の確認を行うようですが、それをされたと思われる個所が切り取られています。
ここも「知られてはいけない箇所」なのでしょうか。
これが知られると、どの操縦ができるのかがわかるため、飛行機になにが起きていたのかが明確になってしまいます。
これを知られたくなかった人がいるのでしょうか。
「コックピット内での会話はプライベートな部分を含んでいるため全文公開できない」ということを言われる方もいましたが、本当にそうなのでしょうか。
例えば、通常航行中のプライベート会話として「昨日奥さんとケンカしちゃって」とか「この後、大阪で繁華街に行こうよ!」みたいな会話があったら、プライバシーのために非公開もわからなくはないですが、
飛行機に何かが起きた後に、そんなプライベートな会話を繰り広げる余裕があったとも思えないし、緊急事態を宣言した後にそんな会話をする余裕があるとも思えないので、
すくなくても何かが起きた後に関しては公開したらいいのに。
生存者の証言① 生存者は困る?
青山さんの著書の中では衝撃的なことが推察されています。
衝突時、多くの乗員は生きていた。しかし、生存者がたくさんいると困る「誰か」が、それらの方々を………というものだ。
衝撃的すぎて、書けません。
青山さんの著書ではその根拠をいくつか提示しています。
本当かどうか…これは正直私には判断できませんでした。
青山さんがおっしゃっていることもわかる部分もあるけれど、私の中ではそれらについての反論も挙げたくなってはいます。
生存者の証言② すぐに助けてもらえなかった?
生存者の4名は同じ場所から見つかっています。
そして、その方々の証言としては、墜落時にはまだたくさん生きていて、声を掛け合っていたと。
夕方になり、夜になり、朝になり…少しずつ声が小さくなっていったと。
そして、上空をヘリコプターが何回も旋回していたと。
つまり、夕方19時ころに墜落して、日付が変わる前まで辺りに救出活動ができれば、多くの人が助かった可能性があるということです。
では、なぜ助けられなかったのでしょうか。
二転、三転した墜落現場。
墜落との情報が入ったときには墜落場所が特定できていないと言われていました。
群馬県、長野県、埼玉県…どこに落ちたかわからないと。
結局、翌朝明るくなってからようやく墜落場所が特定でき、群馬県だった…と。
しかし、この「墜落現場が一晩経ってもわからなかった」という点も陰謀と言われています。
山では火災が発生していまし、近くの村にはそれなりの人間が住んでいました。
それらの村民は自分の村に飛行機が落ちたと警察などに連絡を入れていたそうです。
それらのことから、全く特定できていなかったとは考えられないそうです。
さらに、飛行機3台(ヘリコプターでも可)があれば、場所は特定でき、当時自衛隊、アメリカ軍の飛行機・ヘリコプターが飛んでいたという目撃証言もあります。
これらのことから、調べる気があれば、行く気があれば、助ける気があれば…その晩にでも行くことができたと考えられています。
まとめ
今回、青山透子さんの著書から得た情報から事故の概要をまとめました。
現在の圧力隔壁論を否定しようとすると陰謀論と言われてしまうこともあるようですが、それを反論するならば、情報一切を開示請求に応じて出していけばいいと思います。
そして、昨今、連日ミサイルも飛んできて、コロナウィルス関連でも多くの「隠ぺい」があると言われている世の中で、自分の頭で考えて、自分の意見を持つことの大切さを実感しました。
このまま、報道も大してされずに風化させてしまうわけにはいかないので、微力ながら、動いてみようと思いました。
ドラマ「エルピス」のように、「冤罪」「隠ぺい」に対しては、世論が大切だと思った!
青山透子さん著書
青山透子さんは、元JALのCAで、123便で殉職した乗務員と同じグループで仕事をしていた。
同僚がどうして亡くならなければいけなかったのかという思いから、調査をしていらっしゃいます。
大学院へ通い科学的に証明する手法を身に付け、主観ではなく、客観的に情報を集め著書としています。
できれば、①から読んでいくと前回出てきた情報追加や、経緯などもわかりやすくなるため、順番に読むことをお勧めします。
読み始めたら止まらなくなり、ちょっとした時間を探して読み続け、2週間ほどで5冊を読みました。
①日航123便墜落 疑惑のはじまり: 天空の星たちへ
出版日 2018/5/28
<文庫>
②日航123便 墜落の新事実: 目撃証言から真相に迫る
出版日 2017/7/17
<文庫>
③日航123便墜落 遺物は真相を語る 単行本
出版日 2018/07/21
④日航123便 墜落の波紋: そして法廷へ 単行本
出版日 2019/07/12
⑤日航123便墜落 圧力隔壁説をくつがえす 単行本
出版日 2020/07/21
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